ある写真家の記事から

6月10日付けの読売新聞文化面に写真家の畠山直哉さんの写真が掲載されていた。

重厚な構図と色彩を持った写真は、一見すると絵画のような美しさを感じてしまう。しかし、そこに写されている風景は、今となっては日本に住むわれわれのほとんどが既視感を持つであろう震災と津波で被災した陸前高田市の風景だ。

畠山直哉さんは陸前高田市の出身で今回の震災による津波で母親を亡くされたという。記事の中で、写真家として失われた故郷の姿を撮影する動機を「誰かに見てもらいたいというよりも、誰かを超えた何者かに、この出来事の全体を報告したくて撮っている」と語っていた。

今回の震災や原発の危機的状況が、今までなかったことになっていたと思われた問題や、信頼できるのかできないのかという人々の意識を浮き彫りにしている側面がある。震災や原発関連の写真家の仕事においても、今回起こってしまった事態に対して、どのように対峙したか(もちろん、撮らないという選択肢も含めて)によって、写真家の立ち位置や資質、本質がある面では解りやすいかたちで浮き彫りにされるのではないだろうか。

今回の記事では、掲載された写真がいつどこで発表されるのかは明記されていなかったが、畠山直哉さんが現在進行形で取り組まれている陸前高田市の写真は写真家の仕事として大いに注視していきたいと思う。